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 うららかな土曜日。
 俺は授業が終わるとすぐに啓太のクラスに向かった。

「・・・・啓太。」

「岩井さん、どうしたんですか?」

 突然の俺の訪問に驚くでもなく、とても嬉しそうに啓太が微笑む。

 ああ、やっぱり啓太はいい顔をする。

 そう改めて認識する。

「ちょっと・・・・頼みがある。」

 そう言うと、啓太ははにかんだ笑みを浮かべた。

「俺に出来る事なら、喜んで。」

 頼みの内容は、取り合えず寮の俺の部屋でする事になり、俺たちは二人並んで帰寮した。







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   午後の少し強めの日差しが差し込む中、俺は寮内をひた走っていた。

「啓太、頼むから、もう少し、ゆっくり、走って、くれないか・・・・・。」

 前を走る啓太が、くるりと振り向く。

「ダメですよ。それじゃずるいです。それより岩井さんっ、早く捕まえないと美術室に着いちゃいますよ?」

 くすくすと笑いながら、啓太はこちらを向いたまま後ろ向きで走り続ける。
 こんな所を篠宮に見つかったら、即お説教ものだろうな。
 そんな事を考えている内にも、少しずつ啓太が遠くなってきている。
 そんな走りゆく啓太の後ろに誰かが立つ。逆光でちょうど影にしか見えず、俺にはそれが誰だか分からない。

「啓太っ!」

「わっ!」

 俺が叫ぶと同時に啓太が影にぶつかり、影が啓太を捕まえた。

「伊藤君、後ろ向きで走ると危ないですよ。」

 いつもの様に何を考えているのか分からない笑みを浮かべて、啓太を後ろから抱きしめている。

「・・・・七条。」

「あっ、七条さん。ごめんなさい。その、大丈夫ですか?」

 啓太が七条を振り返る。
 きっと心配そうな顔をして、眉根を寄せているのだろう。

「大丈夫ですよ。」

 七条はとても嬉しそうに、いつもとは違う微笑みを浮かべている。
 七条が啓太を捕まえていた為に、俺はやっと啓太に追いついた。
 それを確認した七条が、今度はじっと俺を見る。

「あっ!捕まっちゃう。」

 つられて俺を見た啓太が七条の腕の中で慌てだす。

「捕まる、ねぇ・・・・。」
 そんな啓太を見ながらぼそりと呟くと、七条はさっきまでとは明らかに違う笑みを作りこちらを見据える。
 もちろん、こちらを向いている啓太にそれは分からないだろう。

「・・・七条。」

 俺を見据える目が物語る七条の気持ち。
 目は口ほどにものを言う、とは昔の人もよく言ったものだ。

「はい、何でしょう?」

 しかしそれを声音からはすっかり隠して、声だけを聞いていれば極々穏やかな返事。

「啓太を・・・・放してくれないか。」

 啓太を見つめる穏やかな瞳、俺を見据える瞳。どちらも同じ七条の瞳だけれど、そこに込められた思いが違う。
 人は、思いだけでこうも違う目をするのか。
 それならばきっと今の俺の瞳もまた、七条と同じなのだろう。
 そう思うと、七条のこの態度の違いも俺に通じる所が見えてくる。

「伊藤君が言うならまだしも、それを何故あなたに言われるのでしょうねぇ。」

 七条が唇の端にうっすらと笑みを浮かべる。
 ほんの少しだけぴりぴりとした空気。

「あのっ、ありがとうございました。もう大丈夫です。」

 俺たちの会話を聞いてそれを感じたのか、啓太はそう言ってわたわたと七条の腕を解く。

「そうですか。残念です。」

 そう言った七条の瞳は寂しそうなものへと変わり、するりとその腕を外した。
 しかしその瞳は一瞬で、すぐにまた楽しそうな表情と声音に変わる。

「ところで、伊藤君は一体何をしていたんですか?もしよければ、ぜひ教えていただきたいのですが。」

 今度は啓太に、優しく聞く。

「えっと・・・ですね。」

 言い難そうに啓太が俺を見る。

「はい。」

 そんな啓太に、七条はやんわりと先を促す。

「賭けを、していたんです。」

「賭け・・・ですか?」

 慎重に言葉を選ぶ様にして話し始めた啓太に、七条が少しだけ目を見開く。

「はい。勝った人が、負けた方の言う事をひとつ聞くっていう・・・・・。」

 そこで言いよどんだ啓太に。

「で、その賭けとは?」

 七条はにこにこと楽しそうに更に先を促した。

「岩井さんの部屋から美術室まで、俺が岩井さんに捕まらずに着いたら俺の勝ち。で、捕まったら俺の負けなんですけど。」

「・・・・そうですか。」

 それまでじっくりと啓太の話を聞いていた七条は、顎に手をやり、何か思案している様な表情をした。

「では、今回は僕が勝者ですね。」

 そう言った七条の背中には、幻かもしれないが黒い羽が見えた。
 何か嫌な予感がする。
 そう思ってちらりと啓太を見れば、どうやら同じ事を考えていた様だ。

「伊藤君には僕のお願いを聞いてもらえるのでしたよね?」

 七条に感付かれない様に、そっと二人でアイコンタクトを取って。

「逃げるぞ。」

「逃げましょう。」

 俺たちは、同時に不敵な笑みを浮かべる七条の前から走り去った。

 すぐ傍で、滝が俺たちの話を聞いていたとも知らずに。








 走って、走って。
 俺たちは懲りずに賭けを続行していた。
 啓太は俺をからかう様にわざと美術室を遠回りのルートを使って走っている。
 たいした距離にならない内に、俺はまた啓太に大きく離されていた。

「・・・・もう、走れない・・・。啓太、待って、くれ。」

 そう言って頼む俺に。

「い・やです。それじゃ賭けにならないじゃないですか。」

 啓太は楽しそうに笑って振り返る。
 追いかけ続ける俺から逃げる為、後ろ向きで、少しだけスピードを落として。

「啓太っ、危ない。」

「・・・・えっ。」

 走る啓太の後ろに、啓太より一回り大きい影を見つけた。
 夕日の反射を借りて啓太の頭上がきらりと光る。

「うわっ!」

 どんっ。
 と、音がして。
 恐る恐る振り返った啓太がゆっくりとこちらを見る。
 がっちりと掴まれた啓太の肩に置かれた手は、大きく骨張っている。
 やっと追いついた時、啓太は目に涙を浮かべていた。
 目を凝らして啓太の後ろに立つ影を見る。

「・・・・中島。」

 きらりと光る眼鏡。

「啓太。俺にぶつかって置いて、わびもなしか?」
 ゆがめられた口元に浮かべられた笑みは冷たい。

「お仕置きだな。」

 そう言って低く笑う中島から、啓太の手を引いて逃げる。
 後方から聞こえてくる中島の低い笑い声に、背筋を冷たいものが流れた。








 息を切らしながら、啓太に手を引かれて走る。

 ああ、どうしてこんな事に・・・・。

 俺はただ、啓太の絵を描きたかっただけなのに。

 俺は啓太に分からない様、こっそりとため息を吐いた。















高嶺様、長々とお待たせしてしまい、すみませんでした。
岩啓で「頑張る岩井さん」です。
ご所望通り岩井さんが頑張っている様に感じていただけたら嬉しいです。

頑張る岩井さんとリクを頂きまして、学園に数多存在する恋敵(の一部)と遭遇して頂きました。
七条さんとは少しだけバトルした岩井さんですが、中島さん相手には一目散に逃げました。
美術室に着くまでに、少なくて後四人が俊介から情報を買って待ち構えているかと思います。
岩井さん、頑張れっ!
でも、その割りにラブチックがありませんね。
どちらかと言うとコメディー風味でしょうか。

少しでも楽しんでいただけたら幸いです。

高嶺様、相互リンクして頂いた上、素敵なお話までありがとうございました。
こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いします。



葵葉奈でした。

04.05.14