ちょこれーと 「七条さん、ここにいると良いけど。」 さっき会計室に行ったら、西園寺さんしかいなかった。 『臣ならもう少し待てば来る筈だが、急ぎの用なのか?』 急ぎといえば急ぎの用なんだけど、個人的な用事だったりするから。 『いえ、そうじゃないんですけれども・・・』 言いよどむ俺に、西園寺さんがくすりと微笑う。 ううっ、恥ずかしぃ。もしかして・・・バレちゃってる? 『俺、ちょっと探してきますね。』 あのまま会計室で待ってても良かったんだけど、やっぱり出来るだけ早く渡したかったんだよねコレ。 だから、慌てて会計室を後にした。 すっごく恥ずかしかったけど、昨日篠宮さんに協力してもらってやっと出来上がったトリュフ。 ちゃんとココアパウダーも振りかけて見てくれはそれらしく出来上がった。 本当は女の子の特権ってやつなのかも知れないけど、俺は七条さんに渡したかった。 俺の、精一杯の”好き”の気持ち。 ちゃんとカバンに入っている事を確認する。 うんっ、準備OK。 喜んでくれるかな? 伝わるといいなぁ。七条さんに。 七条さんならきっとここに居る筈。 着いた先は図書室。 しんっと静まり返った室内を見回す。 いつもの特等席。 「いたっ。」 今すぐ走って行きたかったけど、それは我慢。 そうっと近づいて、声を掛けたら驚くかな? ちょっとした悪戯心。 後ろに隠した左手にはトリュフの入ったカバン。 「七条さん、こんにちは。」 右手を七条さんの肩にポンッと置く。 「こんにちは、啓太くっ・・・」 ぷにっ。 こっそり立てておいた人差し指に、振り返った七条さんの頬がささる。 思っていたより柔らかかった七条さんの頬。 「引っかかりましたね?」 したり顔の俺に向けられる七条さんのいつもの微笑み。 「引っかかってしまいました。」 あまりにも嬉しそうに言うもんだから、ほんの少しだけ悔しくなる。 「七条さんのほっぺたって思ったより柔らかいんですね。」 「そうですか?」 「はいっ。柔らかいほっぺです。」 もっと触ってたくなるような頬。 「啓太君に褒めて貰えるなんて光栄ですね。でも、啓太君のほっぺの方がもっと柔らかいと思いますよ。おまけにすべすべです。」 ・・・なんて。 俺のほっぺを撫でながら囁かれる、ナチュラルに恥ずかしい台詞も。七条さんに言われると、恥ずかしいのより嬉しい方が勝ってしまうのだから俺も相当の重症だよな。 きっと、今の顔は真っ赤なんだと思う。 自分でも、見る見るうちに頬が熱くなるのが分かる。 でも、平然としてるようにしか見えない七条さんが少し恨めしかったりもして。 七条さんは恥ずかしくないのかな? 「・・・っそれより、七条さん。今度はどんなプログラムを作っているんですか?」 七条さんの肩口から画面を覗き込む。 相変わらず何が書いてあるのかさっぱり分からないのだけれど・・・。 「やっぱり、秘密ですか?」 本人無自覚のおねだり光線。 しかし、七条はいつもの笑顔でやり過ごす。 「そうですね、啓太君が僕のことを”臣”と呼んでくれたら教えてあげます。」 にっこり笑ったその背中には、見間違いかな?黒い小さな羽が見えた気がする。 七条さんってば、言えないと思ってるな? 本当はすっごく恥ずかしいけど、そんなの今更だし。意地悪されてばかりじゃ悔しいし。 ええぃ、男だって度胸が無くちゃ。なんてったって、今日の俺は一味違うんだから。 思い切ってにっこり微笑う。 いつも七条さんがそうする様に。 必殺っ!七条さんの真似。 そして・・・ 「じゃあ、えっと・・・。」 コホンと咳払いを一つ。 七条さんの目が大きくなる。 もしかして言うとは思ってなかった? でも、言ってみる。 実は本当の恋人同士みたいで、一度だけやってみたかったんだよね。名前呼び。 「・・・おみ。」 ちゃんと出来たかな? 上目遣いに七条さんがどう出るか伺う。 ・・・? 反応が無い? おかしいな。もしかして失敗? 七条さんはいつものにっこり微笑みのまま。 あれっ?もしかして、これって・・・。 大成功!? 「臣さん?」 もう一度試してみる。 ガタタッッ! いつもなら静かに席を立つ七条さんが、音を立てて席を立ち上がった。 と、同時に周りがざわめく。 やばっ、ここ図書室だったんだっけ。背中に突き刺さる視線が痛いかも。 でも、そんな事より。 「っし、七条さん?どうしたんですか、いきなり。」 顔色は変わらないけど、表情がいつもと少しだけ違う。 耳が赤くなってる・・・って事は。もしかして、照れてる? うわっ、うそー。 あの七条さんが照れてる? 可愛いっ。 もしかして、七条さんってばいつもこんな気持ちなのかな。 大好きな人の新たな一面。 「そろそろ会計室へ行きましょうか。」 差し出された手に捕まる。七条さんの大きくて、暖かい手。 もうすっかりいつもの七条さんに戻ってしまっていて、ちょっとだけつまらなかったけれど。 これ以上ここに居ると余計な注目浴びちゃいそうだし。 それに・・・ 早く二人っきりになりたかったから。 「はいっ。」 俺達は図書室を後にした。 放課後ということもあり、廊下を歩く人数も少ない。 「・・・っあの、七条さん?」 図書室を出る時に握られた手は、今もそのまま俺の手を拘束している。 緊張の所為か繋がれた手にじんわりと汗が滲む。 ちらりと伺い見た七条さんの横顔は、何か考え事をしているようで。まるでここには居ないみたいで。 「・・・はい。どうかしましたか?」 振り返った笑顔はやっぱりいつもと同じ優しい微笑みだけど、少し寂しく感じてしまう。 「手・・・繋がなくてもはぐれたりしませんよ?」 繋いでいた手を持ち上げて見せる。 さっきすれ違った人もまじまじと見ていた、俺達の手。ずっと繋いでいたい気持ちも確かにあるのだけれど、他の人に見られると思うと恥ずかしくて。 「そうですねぇ・・・。啓太君はもう臣とは呼んでくれないのですか?」 いつもの笑顔でそう問われて戸惑ってしまう。 先輩である七条さんを呼び捨てにするなんてとんでもない事だし、さっきたった2回呼び方を変えただけの筈なのに、いつもより意識してしまって困っているほどなのに。 「だって、七条さんは七条さんだし、先輩だし。それに、その・・・恥ずかしいです。」 やっと収まりかけていた頬の熱さが甦る。 「おやおや、困らせてしまったようですね。」 言葉とは裏腹に、少しだけ困ったような表情。 俺、何か困らせるような事言っちゃったのかな? 俺は、今こうして手を繋いで隣を歩いているだけで、心臓が飛び出しそうなくらい緊張している。 「そんな事・・・ないです。」 答えた瞬間に繋いでいた手を引かれ、抱きしめられた。 ぎゅっと、きつく・・・。 開け放たれた窓から聞こえる人の声。いつものざわめきが、一瞬にしてかき消されて、その代わりとでも言うように、耳たぶを甘咬みされた。 跳ね上がった俺の身体を抱きしめる腕に更に力が加えられる。 「今はまだお試し期間ですが、僕とキミは恋人ではないのですか?」 耳元で放たれる、少し低めの七条さんの声。 「それとも、キミはまだ僕を恋人として認めてはくれていないということですか?」 いつもはその笑顔に隠れてしまい、よく分からなかった七条さんの気持ち。でも今日は顔が見えない分、いつもよりダイレクトに届く。 これって・・・七条さんが不安がっている、って事だよな。不安にさせてしまった原因は、もちろん俺って事で。 そう思うと、悪いことだって分かっているんだけれど、何故だか嬉しくなってしまう。だってそれって、俺の事凄く好きだって言っている様なもので。 今すぐに顔が、見たい。 どんな顔して俺に聞いているの? 衝動が止められない。 「七条さん、俺はちゃんと七条さんの事好きですよ・・・その、恋人として。」 俺の言葉に安心したのか、加えられていた力が少しだけ緩められ、顔を覗かれる。でも、俺は恥ずかしくてその腕から抜け出した。 見上げた先には淋しそうな、困った様な顔。 「あっ、そうだっ!」 今日の為に一生懸命練習して、やっと出来上がったチョコレート。 俺の気持ちを詰め込んだソレをカバンから取り出す。 「七条さん、あの・・・これ。」 一生懸命作った俺の気持ちを七条さんの前に差し出す。 「もし・・・良かったら、貰ってもらえますか?」 七条さんの瞳が、少し大きくなる。 「僕に、ですか?」 「俺には、他に受け取ってくれる人も、渡したいと思う人もいませんよ。」 両手で差し出したソレを受け取ってくれた。 不器用で、上手にラッピングは出来なかった。歪んだ包装紙が、俺の格闘ぶりを雄弁に語っている。 「今開けてみても良いですか?」 にっこりといつもの微笑みを取り戻してくれたみたいで少しだけほっとする。 「はい。」 シュルッと音を立てて解かれたリボンが、七条さんの首にかけられる。 ピンクと紫の二色の包装紙が、七条さんの手のひらの上で口を開く。 「これは・・・。」 包みの中から顔を出したトリュフ。 本当は、七条さんに会えたらすぐに渡そうと思ってたんだけど、でも人がたくさんいた図書室では恥ずかしくて渡せなかったチョコレート。 「味は保障できませんよ?」 喜んでくれるだろうか? ドキドキと高鳴る心臓がうるさい。 「・・・という事は、啓太君の手作りですか?」 甘い、甘い微笑み。 「啓太君、食べさせてくれますか?」 耳元に寄せられた吐息。 くすぐったくて、身を捩るけど嫌じゃない。 「どうしても・・・ですか?」 問いかけに、七条さんは即答で返してくる。 「どうしても、です。」 真綿で包み込むような柔らかい口調、声、眼差し。そのどれもが愛しくて、たまらない。 「一個だけ、ですよ。」 素早く見回し、辺りに誰もいないことを確認する。 「はい、今はそれだけで充分です。」 ”今は”と言う言葉に引っかかりはしたけど、急がないと誰かが来てしまう。 差し出されたチョコレートの包みからひとつだけ摘むと、口を開けて待っていた七条さんの口に入れる。 「どうですか?」 自分では美味しく出来たつもりだけど、七条さんにもそう思ってもらえたかな? ちょっとだけ、緊張する。 「美味しいです、とても。」 ふんわり柔らかい微笑み。 優しい眼差し。 少しだけ低い、甘い声。 「啓太君、ありがとうございます。とても、とても嬉しいです。啓太君の気持ち、確かに受け取りました。」 うわっ、今のそれ反則。 いつもの100倍くらい甘い表情。 そんな顔されたら俺、俺・・・。 足に力が入らない。 「啓太君っ、どうしたんですか?」 床にへたり込んでしまった俺に、心配そうに向けられる顔。 「ちょっと・・・腰が抜けちゃったみたいです。」 今日は俺、七条さんにびっくりさせられっぱなしだ。 この人は、一体何処にあんな顔を隠していたんだろう。 その顔が見られただけで、俺は、きっと世界一の幸せ者だ。 俺に向けられた表情の一つ一つが俺の宝物として、心の中に降り積もっていく。 どうしようもないくらい愛しいこの人が、ずっと俺だけのものだったら・・・。 「七条さん、大好きです。」 俺を抱き上げてくれた七条さんの肩にそっと捕まる。 「もっときつく捕まっていて下さい。」 いつもの笑顔でそう言われるがまま、俺は七条さんにしがみついた。 「では、行きましょうか。」 「えっ、このままですか?」 驚く俺に、軽くウインクをしてみせる七条さん。やっぱり、格好良いんだよなぁ。 「もちろん、このままです。」 「えっ?」 「啓太君が悪いんですよ。あまりにも可愛らしいことばかりするから、郁に自慢したくなりました。僕たちが仲良しだって事を皆さんに教えてあげなくてはいけませんからね。」 そう言ってにっこり笑った七条さんの後ろに、黒い羽がばさばさしていたのはきっと目の錯覚。 頬に押し当てられた唇に照れてしまったから。 「早く行きましょう。」 ちょっと恥ずかしかったんだけど、後少しだけ。このままでも、いいかなって思ったから。 そのまま俺達は会計室へ向かった。 都合の良いことに、誰にも見つからずに。 会計室の扉を開けた途端に、西園寺さんの盛大な溜め息を聞くことになるのは、もう少し後での事。
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