悪魔なくちづけ


 悪魔なくちづけ



 ざわめく食堂の中、俺は七条さんと二人で夕食を食べていた。

「伊藤君はいつ見てもとても美味しそうに食べますから、見ているこちらも気持ちが良いですね。」

 七条さんの方を見ると、目が合ってしまい恥ずかしくて思わず俯いてしまう。
 俺は学園MVP戦でお世話になってから、密かにこの七条さんに片思いしていたりするのだ。
 だから、目が合っただけでどきどきするし、話が出来たらそれだけで嬉しい。
 今日は珍しい事に、和希も、西園寺さんや王様、中嶋さん達もいなくって、和希達には悪いと思いつつも、この状況が嬉しかったりする。
 ・・・のだけれど。

 もしかして・・・ずっと見られてた?

 そんな事ありえないと分かっていながらも、そう考えてしまったら余計に恥ずかしくなって、顔を上げられなくなってしまう。

「伊藤君、ほっぺにご飯粒がついてますよ。」

 そう指摘されて思わず顔を上げると、顎に手を掛けられて七条さんの方へと向かされてしまう。

「えっ、あの・・・。」

 じっと見つめられて、どうしようもなく困ってしまう。

「取ってあげますから目を閉じてください。」

 ご飯粒を取るだけなのにどうして目をつぶるんだろう?とか色々と疑問は浮かんだけれど、七条さんににっこりと微笑まれてしまっては瞑らないわけにはいかなくなってしまう。

「良い子ですね。」

 言われるままに目を閉じると、満足そうな七条さんの声が耳元で聞こえてきた。
 ざわめいていた食堂は、いつの間にかしんっ・・・と静まり返っている。
 何がどうなっているのか分からなくて薄く目を開けると、鼻の頭がくっつきそうな位近い所に七条さんの顔があった。

「うわぁっ。」

 びっくりして離れようとしたのだけれど、七条さんの手がそれを許してはくれない。

「いけませんね・・・。まだ目を開けても良いとは言ってませんよ。」

 いつもと同じ笑顔なのだけれど、その後ろに見えている黒い羽はなんだろう?
 時々思い出したようにパタパタと動いている。

「あの・・・七条さん?」

 怯えてしまっている自分を叱咤しながら、おずおずと話しかけると、七条さんの羽がさっきよりも活動的に動き出す。

「ご飯粒・・・とれましたか?」

 とりあえず無難な所から聞いてみる。
 思わずごくりと飲み込んでしまった唾の音が妙に大きく感じるのは気のせいだろうか。
 周りで夕食を食べていた人たちの視線が自分に集まっているのが、背中越しにでも良く分かるだけにいたたまれない気分になる。
 はっきり言って、視線が痛い。
 相変わらずにっこり笑ったままの七条さんが、ほんの少しだけ怖い。
 つつっと背筋を伝い落ちた冷や汗に、思わず鳥肌が立つ。

「あぁ・・・今取りますね。」

 ゆっくりと更に近づいてくる七条さんの顔から目が離せない。

「し、七条さん・・・? その、何で顔を近づけるんですか?」

 どきどきと心臓の音がうるさい。
 こんなにドキドキしてたら七条さんにまで聞こえちゃいそうで、違う意味でも更にドキドキしてきてしまった。

「知らなかったんですか? ほっぺに付いたご飯粒は、こうやって取るのがセオリーってものなんですよ。」

 七条さんの瞳が、だんだんと閉じていく。

「じゃあ、どうして七条さんが目を閉じるんですか?」

 ドキンドキン・・・。
 心臓の音が七条さんにも届きそうな位大きく聞こえる。

 「それは啓太君が目を閉じていてくれないからですよ。僕は恥ずかしがり屋さんですから。」

 いつもなら安心できる七条さんの笑顔なのに、今日はちっとも心休まらない。

 「あ・・・あのっ、ご飯粒くらい自分でとれますよ?」

 七条さんのもう片方の手が、俺の後頭部に当てられる。

「啓太君の声は僕も好きですが、今は少しだけチャックしておいて下さいね。」

 顎を引かれ、上向かされる。

「で、でも・・・・・。」

 問答無用で乾いた皮膚が頬に触れ、濡れた感触が頬を伝う。

 な、舐めたぁ〜!?

 口はパクパクするばかりで肝心の声を出してくれない。
 顎を固定されているためにどうにも動けず、ただ七条さんにされるがままになってしまう。
 頬に触れた皮膚が離れてほっとするのも束の間、今度は唇に暖かい何かが触れる。

「えっ・・・。」

 びっくりして思わず発した声と共に開いた口内に、生暖かくて柔らかいものが差し入れられる。
 生暖かいそれは、口の中のあちこちを動き回っては頬の内側や歯列をなぞる。
 暫くの間されるがままになって、これは何だろう?なんて考えて、俺は漸くそれが七条さんの舌だと気付いた。
 急な事に驚いて縮こまっていたそれが絡み取られ、きつく吸われた。

「っ・・・んむぅ・・・。」

 息が苦しくなって、とりあえず目の前のものを押そうと両手を当てると、反対に掴み取られてしまい、一つに纏められてしまった。
 口の中に入ってきたものがやっと外に出て離れ、掴まれていた手も漸く開放される。同時にやっと満足に息ができてほっとした。
 吸われるがままいつの間にか差し出す形になってしまった舌が、口の外に出ていた事に気付き慌ててしまう。
 そして、俺はここが食堂だったという事を思い出した。
 凄いスピードで顔が熱くなる。

「はい、取れましたよ。」

 にっこりと、何でも無い事の様に言う七条さんに気圧されてしまい。

「えっ?・・・えぇっと。あ、ありがとう・・・・・ございます。」

 思わずそう言って、ふかぶかとお辞儀をしてしまった。
 室内は不自然な程に静まり返ってしまい、刺す様な視線が痛すぎる。

「・・・ごっ、ご馳走様でした。」

 そんな中ここに居続けるなんて出来ないから、とりあえずこの場から一刻も早く立ち去ろうと、勢い良く席を立った。
 その所為で、静まり返っていた食堂内にガタリとひどく大きな音を響かせてしまい、我に返った様にして室内がどよめいた。

 逃げるように食事を乗せたトレーを片付け、部屋を出ようとしたその背後でパンパンっと音がする。
 その音に、俺はびっくりして立ち止まり、室内は示し合わせたかの様にまた静まり返った。
 恐る恐る振り返ると、にこにこと微笑んでいる七条さんと目が合った。
 大好きな七条さんの笑顔の筈なのに、いつもみたいに幸せな気分になれない。どっちかって言うと中嶋さんと対峙している時の様な雰囲気に息を飲んだ。

 ここに居ちゃいけないような気がする。

 それでも、七条さんの瞳から目が話せなくて、この場を動けない。
 七条さんは、軽く室内を見回して満足そうな笑顔を浮かべると、食堂の何処に居ても聞こえる様にやや大きめの声を出した。

「皆さんご覧の通り、伊藤君は僕のものですから、今後一切手出しをしないで下さいね。」

 貼り付けたような笑顔の裏に、手を出したらただじゃ済まさないとしっかり書いてある。
 まるであかべこの様に上下に振られる頭。そのどの顔もすっかり青褪めてしまっている。

 お・・・俺、七条さんのものだったのっ?

 七条さんの背中の羽は心なしかうきうきとしているみたいなのは、この際どうでも良い事にするとして。
 大好きな七条さんに、あろう事か皆の前でキスされちゃって・・・・・もうどうしたら良いのか分からない。
 俺は、とりあえず何もなかった、聞かなかった事にしてゆっくりと回れ右をすると、やっとの事で食堂から退避する事に成功した。
















 なっ・・・何?今の。

 どきどきと未だ早いままの心臓の音は激しくなる一方で、静かになってくれそうも無い。
 今起きた出来事が何なのか、理解はしているのだけれど脳が受け付けてくれない。
 早鐘のように高鳴り続ける心臓に手を当てていると、後ろでガラリと音がした。

 七条さんだ。

 振り向いて顔を見なくても分かる、七条さんの香り。
 振り返った先にいたのはやっぱり七条さんで、その顔に目一杯の笑みを湛えている。
 そのまま肩を抱かれてしまい、ぐっと近くなった距離がより一層俺を緊張させた。

「あの・・・七条さん?」

 見上げては見るものの、七条さんの顔からはその真意が読み取れない。

「何ですか? 伊藤君。」

 嬉しそうにぱさぱさ動いている七条さんの黒い羽はとりあえず見なかった事にして。

「どうしてあんな・・・。」

 七条さんが何を言うのか、正直言って怖いけれど。聞かない事には何も始まらない。

「教えてあげましょうか?」

 いつも以上のにこにことした笑顔が、パタパタと羽音を立てる黒い羽をバックに返された。

「・・・・・やっぱり、いいです。」

 ここで聞いたらいけない様な気がしたから、咄嗟に断っていた。
 七条さんから離れようと、慌てて後退ったら足が縺れてしまって・・・。
 倒れるっ!
 そう思った瞬間に七条さんが俺の腰を引き寄せてくれたから、何とか倒れずにすんだけれど。
 そのまま首筋に顔を埋められてしまったから、恥ずかしいやら気まずいやらで思考が追いついてくれない。

「おや?聞いてはくれないのですか?」

 耳に息を吹きかけるようにして、いつもより低い重低音の声が響いて、どきどきが治まらない。
 なんだかやけに色っぽい七条さんのその声を。

「え、遠慮しておきますっ。」

 にへらっと笑ってやり過ごして七条さんに背を向けて、俺は一目散で部屋へと続く廊下を走った。



「今日は特別に逃がしてあげます。でも・・・・次はありませんよ?」



 背中越しにそんな言葉が聞こえたような気がしたけれど、振り向くのは怖いからじっと前だけを見て、部屋に戻るとすぐに鍵を掛けた。

















七⇔啓です。
本当は両思いv
まだ啓太君をモノにしていないうちから悪戯七条さん。
只今熱烈アプローチ中・・・という感じで。
成瀬さんの初対面でのキスよりか幾ばくかはマシな様な、下手に仲良しだから余計に性質が悪いような・・・。
食堂内にいつものメンバーがいない、珍しい日の出来事。

因みに、学生会コンビは仕事に追われて学生会室にお泊り。
西園寺さんは家庭の事情により、帰省中。
岩井さんはまた作品に没頭するあまり体調不良。
篠宮さんは岩井さんのお世話。
成瀬さん・俊介は試合の為留守。
和希は七条さんのプレゼントを受け取り、理事長室にて徹夜。
・・・とかなり無理あり設定ですね。
岩井さんが倒れてたら、きっと啓太君も心配でお見舞いに行きそうですし。
七条さんにとって、これほどまでに都合の良い日なんて出来すぎでしょうか?
以前一日だけUPしたものをちょっと手直ししたものです。


葵葉奈でした。
04.09.12